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何度も行きたい!ジョン万次郎の人生に触れられる資料館✨

こんばんは!
たいようです😆☀

皆さんには、ここに行くと元気になるなという場所はありますか?☆

好きなカフェや好きなアーティストさんのライブ、自然、神社仏閣 など
人によって様々だと思います😊



私自身はというと、いくつかあります。

その中の一つで
私の尊敬する「ジョン万次郎」という人の生涯を知り、体感できる『ジョン万次郎資料館』を
本日はご紹介します♪


高知県土佐清水のとてもきれいなブルーの海のすぐそばに、その資料館はありました✨

この日は、晴れていたので
とっても澄んだきれいな青色でした✨


そしてこちらが、2018年4月にリニューアルオープンしたジョン万次郎資料館。


「ここ、ジョン万次郎資料館では模型やパネルで万次郎の生涯をわかりやすく展示しています。」



何度でも行きたいと思う理由は、
ジョン万次郎の波乱万丈で人間愛に溢れる生涯を
歴史を超えて体感することができる貴重な場所だからです✨



「ジョン万次郎」という人の生き方を知ってから聞く「決して諦めてはいけない」という言葉。

諦めずに考え抜き、どんな困難にもめげず、
何度もチャレンジして切り開いていった
ジョン万次郎の生き様が体現されている
この言葉に、何度も勇気づけていただきました。

不撓不屈のジョン万スピリットは、
ジョン万次郎の信念でもあり
子孫の方にもよく言っていたそうです。


直系の曾孫である中濱武彦さんが書かれた
『ネバーギブアップ ーどんな時も強く生きるー』の本を読んだときも、
このジョン万次郎資料館に行った時も
心にぐっとくるものがあり、感動しました。


生きていく中で、なかなかうまくいかない時や
挫けそうな時がたくさんあると思います。

そんな時、私がそうだったように
こんな生き方をした人がいるんだと知るだけでも、諦めずに頑張ろうと立ち上がれるのではないでしょうか。

そんなきっかけになれば嬉しいなと思って
今日は、ジョン万次郎資料館をご紹介しました♪


*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*

【ジョン万次郎資料館】
〒787-0337 高知県土佐清水市養老303

↓ジョン万次郎資料館 公式HPはこちら✨

今日は何の日?☆

こんにちは!
たいようです😆☀

本日1月24日は何の日かご存知でしょうか?😊



実は、「ゴールドラッシュの日」なんです!


174年前の1848年の1月24日に
アメリカのカリフォルニア州で
金のつぶが発見されたことで
ゴールドラッシュが始まったことが
由来になっています。

一攫千金を夢見る沢山の人たちが
「金」をめがけてカリフォルニアに集まりました💰

なんと、一年で10万人も人口が増えて
カリフォルニアがアメリカのひとつの州になったそう!


そのカリフォルニアに行った日本人がいるのは
ご存知でしょうか?☆

度々ご紹介しているジョン万次郎も
そこに向かった一人でした。

危機に直面していた日本を守るために
帰国することを決意した際、
帰国資金が不足していました。

お世話になったホイットフィールド船長の世話にはならず
自分たち自身の力で帰国を果たそうと計画したものの
ボートを買う資金も資材もありません。

そこで、このゴールドラッシュに着目したのでした。


ジョン万次郎の子孫 中濱武彦さん著の
『ネバーギブアップ ーどんな時も強く生きるー』を読んでそれを思い出し、
私も頑張ろうと元気が出ました😆✨

素敵な一日になりますように✨

経歴に関わらず、努力で未来を切り拓いた人とは?☆

おはようございます!

たいようです😆☀



皆さんは、自分の過去を振り返ることはありますか?


ふと、あの頃は良かったなと振り返ることもあると思います。

かくいう私も、以前は過去の方が良かったなとか、

部活を頑張っていたなと、よく写真を眺めて懐かしんでいました。


過去を振り返ることが多いときでも、

歴史を好きになってからは、

過去から学ぶ大切さを知りました。



歴史の中でも、私の一番好きな”ジョン万次郎”は、

鎖国していた日本に、当時の海外の最先端を伝えた国際的な偉人です。


前にジョン万次郎の幼少期についてご紹介しました。

(ジョン万次郎の幼少期→https://taiyosunsun.blogspot.com/2022/01/blog-post_15.html?m=1



今回は、そんなジョン万次郎が

過去の自分の境遇や状況にとらわれず、

努力で未来を切り拓いた話をご紹介していきます♬





―海外の最先端の知識や文化を日本に伝えたジョン万次郎―


必然的な偶然により、アメリカに渡り

日本と海外の懸け橋となったジョン万次郎。


鎖国していた日本に命懸けで帰国した後、

万次郎は、アメリカで学んだ

高等数学・英語・航海術などを

後に教育者や政治家、実業家として活躍していく若者達に教えます。



身分の縛りや制限の多かった「封建社会」から

一気に近代化が進み、より自由な今の社会へと繋がる「明治維新」へ。


ジョン万次郎が伝えた、世界へ通用する常識・知識は、

鎖国して閉じていたところから、

海外と繋がる国際社会へと変革していく際の

基礎知識となりました。



―ジョン万次郎は日本では教育を受けていなかった!?―


そんなジョン万次郎の経歴を見ると

「勉強」とは程遠いものでした。


裕福ではない漁師の家庭に生まれたため、

土佐にいた頃は学校に行けなかったのです。



万次郎の生きた江戸時代は、封建社会で

厳重な格差を含む身分制が確立されていました。


「士・農・工・商」という身分を表す言葉は

歴史の時間に聞いたことがあるのではないでしょうか?



文部科学省のHPに、そんな江戸時代の「幕末期の教育」について書かれていました。


「幕府を頂点とする諸藩連合という国家形態の下では、教育や文化の面における各地域の異質性や独自性、及びそれらの間の格差には、著しいものがあった。」

(引用:https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318225.htm)




中でも、当時の土佐藩はというと、

最も封建社会の色が強いと言われており、

武士の中でも、上士と下士という身分によって

待遇にかなりの格差がありました。


それは、上士が通るときは下士は

顔を上げてはならないとされているほど。


漁師の身分に生まれた万次郎との格差は、

なおさら大きいものがありました。



そんな時代背景で、ジョン万次郎は、

生まれた地である日本の言葉でさえ

読み書きに触れていなかったにもかかわらず、

全く言葉も違う異国のアメリカで学ぶことになります。


そのきっかけは、人間愛溢れる素敵な船長との奇跡の出会いでした。

その船長とのエピソードは、またの機会にご紹介します♪




ジョン万次郎は、アメリカでは

小学校から入って勉強し、

総合でクラスのトップの成績をとります。


とても真面目で、勤勉な生徒だったと評判だったそうです。


その後入った高等航海士養成学校は、

当時のアメリカでもめったに進めない名門校。


万次郎は、そこでも懸命に学び、

なんと、その高等航海士養成学校を首席で卒業しました。



帰国後は、明治政府の依頼で

開成学校(現・東京大学)でも教鞭を取りました。


もともとは学ぶことすらできなかったところから

日本一の大学で教えるほどまでになるのは

本当に凄いことだなと思います!




↓こちらが万次郎が学んだ公立小学校の

「オールド・ストーン・スクール」です✨

(出典:https://www.johnmung.info/john_yukari.htm)




ジョン万次郎は、過去の経歴に関係なく、

自由を重んじるアメリカや海外の新たなる地で、

前向きに努力して、新しい知識やスキルをどんどん習得していきました。


一方、現在の日本社会では、以前より影響は小さくなっているものの

就職や転職の際や他の場面でも、学歴や、今までどんな経験をしてきたか、

そういった「過去」の経歴をもとに判断されがちだなと感じます。


ですが、経歴はあまり関係ないかもと思うようになりました。




私の世界が大きく広がるきっかけとなった

経営者の渡邊芳樹さんは、学歴自体は高卒です。

(私の世界がさらに広がるきっかけ→http://taiyosunsun.blogspot.com/2021/12/blog-post_13.html)


会社では、出世など、学歴も影響する可能性がありますが、

独立するために、学歴を気にせず、挑戦したそうです。



経歴関係なく、どんな人生にするかといった目標を色々掲げている

渡邊さんがおっしゃっていたことで

印象に残った言葉があります。



「過去の経歴や経験、今までがどうだったかは一切関係ない。

これからどうしたいか、どうなりたいかに興味がある」



この言葉を聞いて、自分の考えを変えるようになりました。


日々を楽しまれている、今の渡邊さんがあるのは、

過去にとらわれず、未来を見て

"今"の努力を積み重ねられているからだなと思います。



その姿を見たときに、

今まではこうだったしなという考えや

逆に、前はこんなに頑張っていたのに

といった「過去」に縛られていた私も、

考え方を柔軟に変えることができました。



そして、独立される過程でも、独立された後も

未来を見て、努力を積み重ねて

自分を変化・成長させ続けている渡邊さん。


そんな渡邊さんだからこそ、

今までこうだったという「過去」で人を判断せず、

どこまでも人の可能性を信じられるんだなと気づきました。



渡邊さんの経験からくる言葉は、

胸にすっと深く入ってくるなと感じます。


私も、過去がどうであれ

これからどうするかを意識して、

努力を積み重ねていきます!😆


ジョン万次郎の幼少期☆

こんにちは!
たいようです😆☀

ジョン万次郎にまつわるスポットを
その生涯とからめて
今日からご紹介していきます♪


ジョン万次郎の生まれ故郷である
土佐清水市の中浜(なかのはま)。


中浜区長場を通り過ぎて少し進んだ所に
生家が復元されています。




「万次郎の生家」として残る写真を基に
設計された茅葺きの木造平屋。

8:00〜18:00であれば、その屋内も見学でき、
当時の生活を感じられます😊



ジョン万次郎の幼少期☆
〜父に鍛えられた子ども時代〜

父は腕のいい漁師で、
7人家族の次男だったジョン万次郎。

土佐藩では、生まれた時から
父親の家業を引き継ぐように
定められていました。


長男が身体が弱かったこともあり、
万次郎が継ぐというので

父親の悦助さんは、
万次郎を海で泳がせたり、砂浜で相撲をしたり、
丈夫な足腰と、困難に立ち向かう負けじ魂を鍛えました。


凧あげなどの遊びの際も、
ただ漫然とするのではなく、
どうしたら誰よりもうまくできるかを、
よく考えてやるようにと教えていたそうです。


のちに、アメリカに渡った後、
万次郎は、凧揚げなど、
この頃に身に着けた遊びを一緒にやって
現地の子供たちと仲を深めていきます✨



何事もよく考えて行動する。

瞬時の判断や創意工夫が
命に関わる海の仕事・漁師として
何より大切なことだと
悦助さんが万次郎に教えたことは、
人生にも同じことが言えるなと思いました。


この後、思いもよらない展開が巻き起こり、
運命的で波乱万丈な人生が幕を開けていきます。

*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*

【ジョン万次郎の生家】
高知県土佐清水市中浜


格言✨〜吉田松陰先生〜

こんばんは!
たいようです😆☀

皆さんに、夢はありますか?

大人になると忘れがちになりますが、
子どもの頃は、卒業アルバムに
将来の夢を迷わず書いたのを思い出します🌱




本日は、幕末の時代に、
29歳の人生で 生涯「志」を貫き、
後の明治維新で活躍する志士達にも
多大な影響を与えた吉田松陰先生の
格言をご紹介します!


「夢なき者に理想なし

  理想なき者に計画なし

  計画なき者に実行なし

  実行なき者に成功なし

  故に、夢なき者に成功なし」




ありきたりな言葉かもしれませんが、
夢や希望を持つことは、大変な時こそ
本当に大事だなと感じています。

もちろん"成功"が全てではありません。

それぞれ、人によって
色んな成功や正解の形があります。

そんな中でも、志を持って
何かを成し遂げた人達は
かっこいいなと思います✨


一度きりの人生を充実させるためにも
未来に希望を持って生きる人が
もっと増えたらなと思います😌

そのためにも、まずは自分が
自分の本音と向き合って
将来に希望を持ち続ける人であろうと
改めて思った格言でした☆


振袖👘

こんばんは!
たいようです😆☀

この3連休はいかがお過ごしでしょうか?☆


明日は成人の日。

1948年に制定されてから
74回目の成人の日になります。

成人式の時期は、振袖姿や
袴姿・スーツ姿の20歳の人たちを見かけて
懐かしい気持ちになります😊


今回は、振袖の歴史を調べてみました!

その歴史は、江戸時代にまで遡ります。

江戸時代は小袖が一般的でしたが、
中期になると女性の袂が長くなり、
振袖の原型のような形になりました。 

 一般庶民はやや袂の長い着物でしたが、
舞台上で用いられていた、
美しい所作を見せるためにわざと袂を長くした着物は
とても美しく、女性らしいという理由から
一般庶民の間で大流行したそうです。

明治時代になると、
振袖の柄行や色は華やかになり、
今日の振袖の大元になりました。



元禄時代(1688-1703年)には
袖丈は55cmから95cmくらいであったのが、
江戸末期(1867年まで)になると
95cmから122cmくらいになったといわれています。




袖の長さも時代によって変わるのも興味深いですね😌


色んな色の振り袖姿が楽しみです✨


読書と人との出会いから学んだ解釈の大切さ☆

こんばんは!

たいようです😆☀


皆さんは本を読む習慣はありますか?☆


読書は、知識が増えるだけでなく

リラックス効果もあるそうです。


読書の効果はそれだけではありません。

本を一冊読むと、年収が一万円アップするというのも聞いたことがあります!


それだけ読書には価値があります。


そんなメリットがある読書ですが、

私自身は、元々はそんなに本を読む方ではありませんでした。


そんな私が本を読む価値に気づいたきっかけは、

ジョン万次郎さんの生涯が書かれた本を読んだときでした。



元々、学生時代にジョン万次郎さんのことを知ってから

すごい人がいるな、困難が来ても前向きに

切り開いていく人はかっこいいなと思っていました!


でも、その時はあまり詳しくは知らず、

あくまでイメージでしかありませんでした。


社会人になって、

ジョン万次郎さんゆかりの高知県を訪れた際、

観光協会の方におすすめしていただいたので

直系の曾孫さんが書かれた本があるとお聞きして

読んでみました!


その本が、中濱武彦さん著の

『ネバーギブアップ ーどんな時も強く生きるー』でした。


(出典:ネバー・ギブアップ ジョン万次郎ーどんな時も強く生きるー 中濱武彦/著 (kklong.co.jp)



直系の子孫である中濱武彦さんが

ありのまま聞いた話や、

当時のジョン万次郎さんの考えや感情も書かれている本で

より深くジョン万次郎さんの人となりや人生を知ることができました!



また、偉人のジョン万次郎さんも同じ人間で、

似たようなことで悩んだり

それでも試行錯誤を繰り返して、何とかしようともがいたから

人生かけて、海外と日本を繋いだり、

今の日本の礎となるものを築くという偉業を

成し遂げられたんだなと知って感動しました。



ジョン万次郎が余生によく子孫の方におっしゃっていたという

「決して諦めてはいけない」という言葉。


今まで何度も聞いてきたことがあるかと思います。


この本を読み、ジョン万次郎の人生を知ってから

この言葉の重みや深さをより感じるようになりました。



波乱万丈なその人生は、

一見すると苦難の連続にも見えます。


それでも、自分にできることはなにか

常に考えて行動に移し続ける。


その姿勢が、本当にかっこいいなと思います✨



私が仕事でうまくいかなかったときにも、

ジョン万次郎も、違うことだけれど

似たようなことで悩んでいたり

それでも諦めずに続けた先に成し遂げたことをみると

諦めずに信念を貫いていいんだと思えたり

勇気をいただけました。


そこから、本を読むことは、

たった千円〜数千円で、

歴史も時間も超えて、だれかの知識や経験を借りられる

貴重なことなんだと体感して気づきました。



ジョン万次郎さんの人生を本で読み、当時思ったことは、

大きな壁があろうと、諦めずに世のため人のために尽力する生き方がしたい!ということでした。


どれだけ大きな壁であっても、諦めずに乗り越えていく姿が素敵で、

ジョン万次郎さんがどうやって乗り越えていったかを考えてみました。


・無人島で食べるもの飲むものがない中、4-5ヶ月過ごさないといけなかった時

・初めて異国の船に乗った時

・アメリカに渡った際に、肌の色が違うと差別された時

・日本を守るために帰国した後、スパイ容疑をかけられた時 など


共通しているのは、あらゆるピンチと思われる場面で

前向きな解釈をされているということに気づきました。


なにか心折れそうな時、ピンチが訪れた時に

どんな考え方をするかで、

その後の行動も大きく変わるなと思います。



今までの人生を振り返ると、

自分の人生を考えるときや、狭かった視野を広げたときに

読書だけでなく、人との出会いも大きかったなと思います。


人との出会いで印象に残っているのは、

自分の世界が大きく広がったきっかけの渡邊芳樹さんとの出会いを思い出します。

(自分の世界が大きく広がったきっかけ✨ 

http://taiyosunsun.blogspot.com/2021/12/blog-post_13.html)



会社の上司や先輩にも恵まれていましたが、

渡邊さんは未来に希望を持ち、今を楽しんでいて、

とっても活き活きとされており、周りとは何かが違うと感じました。


今までは、自分が経験したことでしか考えられなかったですが、

お話をお聞きして、色んな考えや生き方があることを知ることができました。



渡邊さんにしても、ジョン万次郎にしても、

ピンチに立ち向かうときには同じ考え方をされている印象があります。


それは「事実は同じでも、解釈の仕方次第」ということ。


何か起きたときに、落ち込んで立ち止まるのではなく

経験の一つだと捉えて切り替えて次に進む。


もちろんしっかりと考えて受け止め、

改善すべきところは改善して

どうやったらできるかだけを考えることが大切になります。



渡邊さんとお話しする中で、渡邊さんと自分では解釈の仕方が違うのを体感しました。


そのおかげで、落ち込んだり考えて立ち止まったりすることもありますが、

必要以上に引きずらず、切り替えて頑張ろう!と思えるようになりました。



そんな渡邊さんも、はじめから前向きな解釈をできたわけではなかったそうです。


渡邊さんは高卒で会社で働いており、かなり安定志向だったところから、

よりよい人生にしたいと独立してチャレンジすることを決断され、努力してきたと聞いています。


ご自身の独立の際に

たくさんうまくいかない経験をしながらも、

前向きな解釈ができるように努力し、

ピンチも乗り越えてきたからこその言葉だなと感じます。


信念をもって貫き、夢を叶えるために

実際に独立して、ステージを上げていく姿は本当に凄いなと思います✨


私も渡邊さんのように、前向きな考え方をして

自分の夢に向かって努力する生き方をしていきます!

三菱の原点となる有名な経営者☆岩崎彌太郎の少年時代に迫る!

こんばんは!
たいようです😆☀

「三菱」のつく名前は、誰しも一度は聞いたことや 利用されたことがあるのではないでしょうか?

赤いダイヤが三つ連なるマークを思い浮かべる方も多いかと思います☺


三菱造船、三菱商事、三菱重工業、三菱電機、三菱UFJ銀行などなど、
今や当たり前のように日本に根差している三菱財閥(三菱グループ)。

「組織の三菱、人の三井、結束の住友」と表現され、
三井・住友とともに、三大財閥と呼ばれています。


三井、住友が300年以上の歴史を持つ御用商人なのに対して、 三菱は、岩崎弥太郎が幕末・明治の動乱期に政商として、 一代で巨万の利益を得、その後に繋がる礎を築きました。 
(参照:岩崎家 - Wikipedia


そんな三菱財閥の創始者は、
大河ドラマの『龍馬伝』で香川真司さんが演じられていたのでお馴染みの
岩崎彌太郎(1835年1月9日~1885年2月7日)です。


そんな今の三菱グループの礎を築いた岩崎彌太郎が
どんな少年時代を過ごしたのか知りたくなり、
『岩崎弥太郎と三菱四代』河合敦 著(幻冬舎)を読んでみました!


本日は、江戸に出る前、生まれ故郷の土佐にいた少年時代について書いていきます♪




生まれは、土佐国安芸郡の地下浪人の家柄。

地下浪人とは、土佐藩士(郷士)の身分を失った武士のことで
本武士とは言えど、村役人の庄屋(名主)の下位の身分でした。

苗字帯刀は認められてはいたものの
生活は一般の農民と変わらず、
特に少年時代は極貧生活だったと言います。


気性が荒く、いたずら好きの
荒々しいガキ大将だったそうですが、
一方、とても人に優しい少年でもありました。

こんな逸話があります😊

ある時、自家が所有する山林から
木を盗む盗人を捕まえようとしたところ

その盗人が、身寄りのない貧しい老婆なのを知ると、
捕まえるどころか一緒に作業を手伝い
薪をもって老婆を家まで送り届けたり、

貧しい老爺のために、自ら虚無僧姿になって
村々を尺八を吹いて周り、米を恵んでもらったそうです。


また、学業面では、
もともとは物覚えの悪さに、てんでダメだったそうですが、
漢詩が評価され、熱中しました💡

藩主の山内豊熙(とよてる)に認められ、褒美に扇子と銀をもらったことも✨

それが転機となり、ますます向上心に燃えて
高知城下の「紅友舎」に入塾。

岡本寧浦(ねいほ)先生の影響で歴史が好きになった岩崎弥太郎は、
この頃から『三国志』や『水滸伝』などの
英雄が活躍する歴史書などを読みあさるようになりました。


そして、自分のことを英雄視し
「将来自分は、世の中に名を成すだろう」と
公言するようになったそうです。

だから、自分の家の庭に自ら石を組んで日本列島をつくり、
「わが庭の内にあり」といって庭を眺めていたのも
ここから来ているのかと納得でした💡



江戸への留学のお誘いがあって行くことにした際も、
熱い想いで人の心を動かし、
周りに引き留められ反対されても
こうしたいという自らの意思を貫きました。

だからこそ、反対していた人たちも応援するようになり、
後世に残る結果を残されたのだなと✨


また、大きなことを口でいうだけでなく、
夜が更けっても、行灯の明かりの下で必死に誰よりも勉強したそうです。

努力で人より抜きんでて、
初めは学業はてんでダメだったところから
後には、安芸の三奇童と呼ばれるほどの秀才と言われ、
寧浦先生がなくなった際には、塾を継承してほしいと
切望されるほどまでになっていました。


境遇や逆境にも負けず、自分を信じて
将来はこうなる!こうする!という強い信念のもと
江戸に旅立つ第一歩があったからこそ、
明治時代から約130年以上も繁栄し続ける
三菱財閥があるんだなと感じました✨




岩崎彌太郎に限らず、
坂本龍馬や数々の偉人や経営者の方の多くが、
少年期を過ぎてからも、その時の状態や状況では
とうてい叶わないと思われるであろうことも
大言壮語で夢を大きく語られています。

大きくビジョンを掲げ
広い視点で物事や世界を捉えて考え、
そのために努力を惜しまず行動する。
  


それは、私の世界が広がるきっかけとなった友人であり、
経営者でもある渡邊芳樹さんも同じだなと重なりました。
(自分の世界がさらに大きく広がったきっかけ✨


有名なクラーク博士の『少年よ大志を抱け』という言葉がありますが、
子どもの頃は、目を輝かせて将来は〇〇になりたいと話していたはずなのに
どんどん年齢を重ねていくと、夢を語る人が少なくなります。

そんな中でも、渡邊さんは総取りの人生にすると夢を持ち続けられています。

有言実行で、まずは「こうなる!」と決めて宣言し、
目的・目標に向かって、努力し突き進んでいく姿や
志をもったそんな生き方はかっこいいなと心から思います✨


将来をどうしようか考えていたけれど、
どうしていいか分からなかった時に、
「どうなりたいかが先だよ」と渡邊さんに言っていただいてから
私自分も「こうしたい!こうなりたい!」を
考えられるようになりました✨


何かを成し遂げた方や、経営者の方が
どう考えて行動してきたから今の結果があるのか、
そこから私も学び、大きな視野で考えて実践していきます😆!


江戸時代を感じるスポット✨

こんばんは!

たいようです😆☀


都内を歩いていると、ふと時代を感じるものが目に入ることがあります♪

有楽町を歩いていたら見つけたのが、こちら♪



南町奉行所跡!✨


時代劇でもよく出てくる奉行所とは・・・


江戸幕府の主要機関で、老中支配の江戸市中の行政・司法・警察を兼ねる組織です。御番所と呼ばれ、最初は奉行の役宅があてられ、その後常盤橋御門内(北)と呉服橋御門内(南)がおかれます。いくどかの所在地変遷があり、一時期、中御番所を含む3か所となりました。享保4年(1719)以降は2か所にもどり、、南御番所は現在のJR有楽町駅南口銀座側に所在しました。南町奉行所、北町奉行所は時代劇などでの通称です。




江戸時代に東京を守っていた奉行所が

有楽町にあるとは知らず、

テンションが上がりました♪



背の高いビルの立ち並ぶ都内で、

歴史を感じられる場所を探して

都内を練り歩くのも興味深くはありませんか?✨


掘った芋いじるな!?🍠

こんばんは!たいようです😆☀


「ほったいもいじるな」 

と聞いて何を思い浮かべますか?☆



口に出していうと、

What time is it now?(今何時ですか?)の

ネイティブの発音に限りなく近いと言われています💡

これは、英語の授業などで聞いたことがある方も多いかと思います😊




今や当たり前に、身近にある英語。


実は、あの有名なABCの歌も、

昨日ご紹介したジョン万次郎が日本に伝えました☆



ABCの歌は、英語を勉強する第一歩として

誰もが聞いたことがあるのではないでしょうか?☆




アメリカから帰国後、1859年に

ジョン万次郎がつくった日本初の英会話本『英米対話捷径』は、

当時のベストセラーだったと言われています✨

(「捷径(しょうけい)」とは「近道」の意味だそうです!)



日本における外国語が、欄語(オランダ語)から

英語へ移行する時期でした。





そこには、アルファベットやABCの歌、数の数え方をはじめ、

日常英会話フレーズ213の英語の発音のカタカナ表記が記されています。




ジョン万次郎は、日本語の読み書きの教育も受けていない状態から、

耳で聞いた音をそのまま発音することで、英語を習得しました。



そのカタカナ英語は、生きた英語として、

本場のネイティブの方の発音に近く、

音声学的に正当な根拠も有するそうです。



↑英米対話捷径に出てくる英語 (ジョン万次郎資料館にて)



仕事で英語を使う機会も多かったこともあり、

英語でスムーズにコミュニケーションができると

より幅が広がるなと感じます!



よりネイティブな発音をマスターしたい方など、

ジョン万次郎のカタカナ英語を学んでみてはいかがでしょうか?✨


日本と海外の架け橋となった"サムライ"✨

こんばんは!😆たいようです☀



早速ですが、

カメラ📷・ミシン👕・アコーディオン🎹

ジーンズ👖・ネクタイ👔・鉄道🚃・保険💼


これらは、皆さん、どれも聞いたことや見たことがあるものばかりではないでしょうか?☆



これらのアメリカの生活文化を

日本にもたらした伝道師がいます。



日本が鎖国していた時代に

日本人として初めて米国大陸に上陸し、

海外との懸け橋となって今の日本の礎を築いた

その人物こそ、 ”ジョン万次郎”です!



彼の半生が描かれた『Heart of Samurai』(アメリカの児童作家 マーギー・プロイス 著)は、

数々の賞と栄誉を受賞しています✨

↑『Heart of Samurai』(マーギー・プロイス 著)
      ~ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂~



2011年に、優れた児童書に送られる児童文学賞

「ニューベリー賞」を受賞したのを機に

アメリカの小中学校での教材となり、

アメリカの子どもたちに人気だそうです✨

NHKの「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられていました😊




ジョン万次郎に影響を受け、活躍した偉人はたくさんいます!


元々は攘夷思想だった坂本龍馬も、

ジョン万次郎の海外からの情報に影響を受けて考え方が180度変わり、

 開国派となって、倒幕の立役者となりました。



また、ジョン万次郎はアメリカから帰国後、

高知城下の藩校「教授館」や薩摩藩の「開成所」教授、

そして、明治政府の命を受け、開成学校(現 東京大学)でも

教壇に立ち、アメリカで学んだ航海、造船、測量、英語を教えていました。



その中には、

・明治維新で活躍し、その後明治時代には政治家として活躍した"後藤象二郎"

・三菱財閥の創業者である"岩崎弥太郎"

・『学問のすゝめ』を書き、一万円札にもなっている"福沢諭吉"や

・自由民権運動の父と呼ばれる政治家の"板垣退助"らも、
 
ジョン万次郎から学んでいました。




ですが、元々は、ジョン万次郎の生まれとしては、

身分制度が厳しく、教育を受けられない身分でした。


しかも、お父さんを9歳で亡くし、

家計を支えるために一生懸命働いていたところから

一転、14歳の時、初漁で漂流し、

143日の生きるか死ぬかのサバイバル生活を経て

ホイットフィールド船長との奇跡的で運命的な出会いをきっかけに、アメリカに渡米します⛴


人間愛に溢れたホイットフィールド船長のおかげで

日本では受けられなかった教育をアメリカで受け、

言葉もわからないところから努力して

成績はトップだったといいます✨





鎖国している当時の日本はというと、

意図せず、漁に出た際に遭難したとしても、

海外に行ったというだけで

日本に戻ることが許されず、戻れば死刑になる時代。



ましてや、漂流した日本人を助けて

日本に送り届けてくれた外国船にも

大砲を打つほど閉ざしている時代でした(1837年 モリソン号事件)。 



そのため、海外からの日本の評判は良くなく、

一触即発の時代でもありました。 


このままでは、諸外国に植民地にされかねない

日本が大変なことになると危機感を感じて、

命がけで帰国し、無血開城に貢献しました。



どんな困難な状況でも、考え抜いて創意工夫し

"絶対に諦めない"不撓不屈の精神で

世のため人のための志に人生をかけた方です。




私自身、その生き方やあり方に勇気をいただき、

挫けそうになっても、絶対に諦めないぞと、


立ち止まったり、後ろを向いても

また前を向いて進もうと立ち返ってこられました✨


私も、ジョン万次郎のように

かっこいい生き方をしたいなと思います😆✨


140年ぶり🌔

こんばんは!
たいようです😆☀

今日は、部分月食が見られる日でした!

限りなく皆既に近いのを日本で見られるのは、140年ぶりとのこと✨

仕事の関係で月食は見られずでしたが、

140年前はいつだろうとふと考えたら、

私の好きな明治時代だと気づきました♪



鎖国していた江戸時代から、

明治維新を経て明治時代へ。


この時代は、大きな変革期にあり、

今の日本の礎が築かれた時代でもあります☆

 ↑高知県を訪れた時に撮った初日の出です✨




「日本を今一度、洗濯いたし申し候」でお馴染みの

坂本龍馬も有名な高知県は、私も大好きで

明治維新の時代に活躍し、数々の偉人として名を馳せている方々の出身地でもあります☆


これから少しずつご紹介していきたいと思います♪







私にとっての歴史の価値🌱

おはようございます!😆

たいようです☀


早速ですが、​皆さん歴史はお好きですか?​💡​


実は、私自身はというと、

​今でこそ歴史が好きになったものの、

学生時代​は​、歴史にあまり興味がありませんでした​💦​


親をはじめ、​​歴史の好きな人は周りにいて

触れる機会はたくさんありました。​


​しかし、当時はというと、

"歴史は、好きでも嫌いでもないけれど、

年号や人の名前をたくさん暗記するのは苦手だな"

くらいに思っていました✎



でも、今は、歴史はおもしろい!と変わりました💡


というのも、

色んな経験をする中で悩んだり、

これでいいのかなと迷った時に、

歴史上の人物の本を読んだり

実際に歴史にまつわる場所を訪れたりする中で、


時代や状況は違えど、

同じようなことに悩みながらも

乗り越えてきた方達がいたことを知って

これでいいんだと思えた時や、


自分よりはるかに困難な状況だった人もいるのに、

こんなことで悩んでいたんだなと

いい意味で自分の悩みがちっぽけに思えて勇気づけられた時、


​そして何より、暗記だけでは分からない

​その背景やストーリー​・想いを知る中で、

歴史がとてもおもしろいなと感じるようになっていったのです♪



​今の私たちが暮らしている生活や日本に欠かせないもののルーツ、

歴史は繰り返すと言われるように 過去から学ぶ教訓、

そして、歴史上の人物の志やかっこいい生き方など

知れば知るほど 興味深いなと感じます​✨




そして これは、教科書に載っている人や出来事だけでなく、

自分の身近な人や出来事にも言えることだと思います!


実際に、こんな経験がありました✨



別会社ですが、私が勤務している会社に常駐されている

定年後も働かれている 物静かで優しい風貌の

小柄な60代後半の方がいらっしゃいます🍀


それまでは、業務にかかわるものをただお渡しして

その後の処理をお願いするだけの関係でした。



ある時、同じく定年を迎えている私の父よりも 年上のその方に

どんな方なんだろうと興味をもって、思い切って聞いてみたら、

自分が想像もできなかったような様々な経験をしてこられていました💡


挨拶しかしなかった時と比べて、もっと色んな話をするようになって

その方がどんな方か分かり、とっても距離が縮まりました✨


60代後半の今もパソコンのスキルを磨かれていて

今まで培った知識や経験も豊富で、もっとお話お聞きしたいし、

人としても素敵なその方に、今では、ほんの数分でも

挨拶だけでも お会いしに行くようにしています☆



もっと年の近い先輩や年下の皆さんも同様に、

人にはそれぞれの人生のストーリーがあって

十人十色であり、正解不正解もありません。



正解探しをして迷宮入りして動けなくなったり、

誰かと比べて落ち込んでいた時期もありました。


でも、歴史上の人物や身近な先人の方達、

同年代や年下の友達の話を聞く中で

今は、自分の人生のストーリーは

自分で決めていけばいいと思えるようになりました。



そんな歴史に関することも、

これから幅広くご紹介していけたらと思います☆


まだまだ知らないこともたくさんある分、

これを機に勉強していきます♪



歴史が苦手な方も、少しでも興味を持てるようになり、

歴史からの学びが、皆さんの生きる上でのヒントになれば嬉しいです♪



今日はなんの日?☆

こんばんは! たいようです😆☀ 今日、6月27日は ジョン万次郎か、漂流して143日間のサバイバル生活を経て ジョン・ハウランド号で救われた日です! ホイットフィールド船長との軌跡の出会いの日✨ 皆さんにも素敵なご縁がありますように😌🍀