おはようございます!
たいようです😆☀
日米の最初の架け橋となったジョン万次郎。
渡米するきっかけとなったのは初漁での遭難でした。
ジョン万次郎の幼少期☆
〜賢明に働いて家計を支え、遂に初漁へ〜
漁師としても生きていく上でも大事な知恵を
教えてくれた父親の悦助さんは、
万次郎が満7歳の時に亡くなります。
生活が苦しくなる中、
家計を支えるために万次郎は働き始めます。
ですが、
「15歳(満14歳)にならなければ、漁に出てはならない」
と土佐の掟で決まっていて、
継ぐ予定の漁師としてはまだ働けない。
そこで、近所の家に行き、
漁網の繕い、子守り、米つき、薪割りなど、
何でもやって家計を支えました。
漁に出られる年齢になって初めて漁に出た際、
4・5年に一度程しか現れない黒潮の大蛇航に飲まれて
生きるか死ぬかの漂流をすることになります。
その初漁に出た地が、宇佐浦でした。
現在、宇佐浦には、宇佐しおかぜ公園があります。
そこは、ホエールウォッチングの出航地で、
大きなくじらの親子のモニュメントがあります🐳🐳
くじらの親子の隣に、
「ジョン・万次郎ら漂流出航の浦」
という石碑と説明の看板が立っていました✨
万次郎は、父の働いていた中浜の綱元のところに行くと誰もが思っていたところ、
なぜ、中浜から100kmも離れた宇佐浦(土佐市)から出航したのか?
そこには、母親の汐さんの想いがありました。
幼少期から考えて創意工夫する習慣のついていた万次郎。
ですが、万次郎の画期的な創意工夫は、
当時「手抜き」や「横着」だと村中に広まってしまいます。
汐さんは、そんな噂のないところから
息子を送り出してあげたいと
つてを頼って、宇佐浦の綱元のところから
万次郎を送り出したのでした。
※万次郎が村を出たあと、
「手抜き」だと怒られた"石を使った米搗き”は
村人がそのアイデアの凄さに気づき
後に、多くの人が真似たといいます。
土佐の中の小さな世界で生きていたところから、
ジョン万次郎の人生が大きく変わる
第一歩がここから始まったのです。
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【ジョン万次郎漂流出航の地☆宇佐浦】
宇佐しおかぜ公園
土佐市宇佐町橋田浜2752-7