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松岡修造さんと渡邊芳樹さんから学んだ"使う言葉の大切さ"☆
こんにちは!
たいようです😆☀
早速ですが、皆さんは運動やスポーツは好きですか?
私は、観るのもするのも好きです!
体を動かすとすっきりしますし、健康にもいいのも嬉しいポイント!
それだけではなく、
大会や試合はほんの数分~数時間かもしれませんが、
その裏には色んなドラマがあり、
勇気と感動が生まれる場でもあるなと感じます。
学生時代に比べると運動に触れる機会は減りましたが、
今でも、バスケの「スラムダンク」やバレーの「ハイキュー」などの
スポーツの漫画やアニメを見るだけで、胸が熱くなります。
熱い人といえば、一番に思い浮かぶのは松岡修造さん!
松岡修造さんは、元プロテニス選手。
今は次世代の育成や、スポーツキャスターなど幅広く活躍されています😆
数年前、私がかなり落ち込んでいたときに、
昔からの親友が松岡修造さんのYouTube動画を送ってくれて
元気を取り戻すきっかけになったのを思い出しました。
パワフルでポジティブで情熱的な
松岡さんの言葉は、とても力強いなと思います。
それから、松岡修三さんの本や動画を観ていく中で、
当時、松岡さんの『修造パワーダイアリー』を見つけたので手に入れました!
そこには、60の応援メッセージと36の「修造エクササイズ」が載っています!
1ページ1ページに想いの込められた言葉が詰まっていて
何度見ても元気になれるオススメダイアリーです✨
(出典:修造パワーダイアリー | 松岡修造著 | 書籍 | PHP研究所)
松岡さんだけに限らず、「言葉」の影響は強いなと思います。
それは自分で発する言葉でもそうです。
ネガティブな言葉を使うと、
それを聞いている自分も周りの人も
ネガティブな気持ちになります。
逆に、ポジティブな言葉を使うと、
気持ちもポジティブになります。
私の世界が大きく広がるきっかけになった経営者の渡邊芳樹さんも、
使う言葉を気を付けているとお聞きしたことがあります。
(自分の世界が大きく広がったきっかけ✨
→http://taiyosunsun.blogspot.com/2021/12/blog-post_13.html)
厳しい状況下でも、
「~だからできない」と言い訳にするのではなく
「~だからこそ」という言葉を使い、
何かを始める時は、「とりあえず~する」ではなく
「まずは~する」という言葉を渡邊さんは使われるそうです。
それを聞いてから、私も使う言葉を意識するようになりました。
するとやはり、言葉の力は大きいようで
自分の解釈の仕方も、前よりも前向きになっているのを体感しました!
前は、立ち止まってしまっていたことも
どうやったら出来るかを
自然と考えるようになりました😊
ささいなことに思われるかもしれませんが、
そういった小さな積み重ねで大きく変わるということを
渡邊さんに学んだ出来事でした。
ちょっとした言葉を変えていくだけで
自分の考えやものの見方もそれに合わせて変わっていくので、
周りにいい影響を与える人でいるためにも、
これからも使う言葉も意識していきます!😆
ブランチュール🍌バナナ味!
都会の中の月の景色🌕
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カラフルな楽しみ✨ @サービスエリア
ジョン万次郎と渡邊芳樹さんに学ぶ困難があっても諦めずに考え抜く大切さ☆
おはようございます!
たいようです😆☀
自分ではどうしようもない
絶体絶命の危機に遭遇したら、
皆さんはどうしますか?
絶体絶命の危機に遭遇した歴史上の偉人で
思い浮かぶのは、ジョン万次郎です。
(過去の記事はこちら→ たいようの日々のつぶやき: 経歴に関わらず、努力で未来を切り拓いた人とは?☆)
本日は、家計を助けるために初漁に出た
ジョン万次郎の絶体絶命の危機の話をご紹介します♪
― 初漁で漂流。絶体絶命の無人島サバイバル生活 ―
ジョン万次郎は、
土佐の正月明けの初漁開港日に
「かしき」という漁師見習いとして、
宇佐浦から初漁に出ました。
(ジョン万次郎の渡米の原点となる出発地☆→https://
万次郎の役割は、
「飯炊き 兼 釣れた魚をはえ縄から外す役目」。
同じ船に乗ったのは、
船頭の筆之丞(37歳)、重助(24歳)、五右衛門(15歳)
はじめの2日は全く魚は釣れないものの、
3日目には大漁でした。
しかし、天気が一気に変わり暴風雨へと急変。
地元の漁師が恐れる
四国山脈からものすごい勢いで吹き下ろしてくる
突風の「アナゼ」に襲われ、
4・5年に一度、大きく流れが変わる黒潮の
大蛇行に乗ってしまったのでした。
必死の抵抗もむなしく、強風と大波にもまれて
沖へ沖へとものすごい速さで流されました。
氷雨と強風が吹き荒れる中、
嵐の海を5日間も漂流して
7日目にやっと無人島に上陸。
上陸する際、何度もチャレンジするも
沖へと押し戻されてしまい
なかなか上陸出来ませんでした。
飲み水も食べ物もない中で
皆、力尽きてへたり込む状況下でも、
万次郎は考えて、ありとあらゆるものを使って
試行錯誤して魚を5.6匹釣り上げて
みんなの元気を取り戻したのでした。
無我夢中で島に向かって泳ぎ、
何とか、「鳥島」にたどり着きました。
「鳥島」は無人島で、
江戸から580kmも離れた絶海の孤島でした。
―生きるか死ぬか、絶体絶命の無人島生活―
「鳥島」には海水はあるものの、
飲み水はほとんどなく、海水を飲むか雨水を飲む生活。
食べるものもない中、このピンチの場面でも
よく考えて工夫し、知恵を働かせてカニを取ったり
魚をとったりして、一緒に漂流した仲間を驚かせました。
その時、生きる頼みの綱は、
今では天然記念物になっているアホウドリでした。
幸いなことに、アホウドリは、
土佐では「藤九郎」と呼ばれ
その習性もよく知っている鳥でした。
ですが、アホウドリは渡り鳥。
時期が来て飛び立った後は
また食料に困る生きるか死ぬかの日々が続きます。
この後も波乱万丈な展開が。。
どうやってこの絶体絶命の無人島生活を抜け出せたのか!?
続きは、また別の機会にご紹介します。
(この写真は、先日ご紹介した私の元気になるスポットである
ジョン万次郎資料館に展示されていた藤九郎の模型です♪)
人生では思い通りにいかないことが多いですが、
ジョン万次郎の人生は本当にまさかの連続だと思います。
初漁で滅多にない黒潮に乗ってしまったり
やっとたどり着いた島が食料のほぼない無人島だったり、
頼みの綱の食料源であるアホウドリが飛び立ってしまったりと・・
自分にはどうしようもない状況も多々あったと思います。
しかし、そんな絶体絶命の困難に見舞われても
頭を働かせて、何とか現状を打開しようとしたジョン万次郎。
ただ絶望して諦めるのではなく
その状況を打開しようと試行錯誤する
不撓不屈の精神に感銘を受けました。
明治時代と状況は違うかもしれませんが、
現代でも、
私の世界が広がるきっかけになった方でもある
渡邊さんはご自身で経営されており、
ゼロから事業を立ち上げる過程では、
色んな困難や失敗も経験をされたそうです。
(自分の世界がさらに大きく広がったきっかけ✨
→https://taiyosunsun.blogspot.
帝国データバンクによると、
創業100年を超える会社は日本全国の企業のたった2%。
1年以内に倒産する確率は30〜40%以上と言われています。
経営をするというのは、予期せぬアクシデントや、
そんな中、渡邊さんは、
失敗もしながらその都度それを認めて改善し、
経験値を積み重ねて今があるとお聞きしました。
経営は、決めた目標に向けて
どうやったらできるか考えて
できるまでやるんだよと
教えていただいたことがあります。
目標が高ければ高いほど
色んな障壁が立ちはだかる中で、
努力して困難を乗り越えてこられたからこそ
着実に成果を上げてこられたんだなと感じました。
私も、渡邊さんやジョン万次郎のように
困難な状況があっても、諦めずに
どうやったら良くなるか考えて努力し続けます💪
今日はなんの日?☆
こんばんは! たいようです😆☀ 今日、6月27日は ジョン万次郎か、漂流して143日間のサバイバル生活を経て ジョン・ハウランド号で救われた日です! ホイットフィールド船長との軌跡の出会いの日✨ 皆さんにも素敵なご縁がありますように😌🍀