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都内で発見した台所町跡!?
江戸のはじめから元禄の頃まで、飯田町紙流通センターの所に江戸城の台所衆の組屋敷がありました。そして台所頭をはじめとして、台所衆、台所者と呼ばれる役人が住んでいました。武艦にお台所頭、四百石、たい所町、鈴木喜左衛門と記されています。
その後大名や、旗本の屋敷に移り変わりましたが、なお付近は台所町の名が残りました。」
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ジョン万次郎と渡邊芳樹さんに学ぶ☆"読書"と"人との出会い"で"当たり前"が変わり、人生も大きく変わる!?
皆さんは、出会いを通して
人生が大きく変わったなと思うことはありますか?
おはようございます!
たいようです😆☀
出会いといえば、人や場所や本など、色々なものがあると思います。
自分の価値観や人生が変わるほどの出会いというのは、
良い上司や友達との出会い、旅行での感動的な場所、読書による新しい価値観との出会いなど、
色々なところに出会いのチャンスはあると思います。
人と会ったり、旅行に行ったりというのは、
頻繁に起きるものではなかったり、お金がたくさんかかったりと、
少しハードルが高かったり、運の要素が大きかったりするかもしれません。
そんな中、取り組むハードルが低く、
費用対効果も高いのが「読書」です。
私は読書が大好きで、
読書をすると、いい言葉に触れてモチベーションが上がります。
さらに、時代が違っても、共通する経験を共有・体験できることも大きいなと思います。
例えば、今まで読んだ中で、自分の人生にとって影響が大きく、一番心に残っているイチオシの本は、
『ネバー・ギブアップ ジョン万次郎 ーどんな時も強く生きるー』という本です📕
Amazon.co.jp: ネバー・ギブアップ ジョン万次郎 (ロング新書) : 中濱 武彦: Japanese Books
通勤電車で読んだときに、
今は直接会うことも、話を聞くこともできない
ジョン万次郎の人生を知って感動しました。
どんな背景でどんな考え方や行動をとったのか、その人柄も知ることができました。
著者の中濱武彦さんは、直系の曾孫なので
ジョン万次郎の話を直接聞いていた方から
語り継がれている話をありのまま書いてくださっているのも魅力の一つです!
まずはそんなジョン万次郎の波瀾万丈な人生と、
素晴らしい人との出会いのエピソードについて紹介させていただきます。
◆人との出会いで大きく人生が変化した歴史上の人物「ジョン万次郎」
私の尊敬しているジョン万次郎の場合は、
9歳にしてお父さんを亡くしてから、
体の強かったジョン万次郎が家計を支えるために働いていました。
漁に出られる年齢になったジョン万次郎は
食料係として初めての漁に出ます。
その時に、数年に一度の黒潮の強い流れに巻き込まれて遭難し、高知県から東京の南の方まで万次郎が乗った船が漂流してしまいました。
一週間ほど荒波に揉まれて、
やっとの想いで無人島に辿り着きます。
一緒に漁に出た仲間も怪我を負う中、
水も食料も尽きて生きるか死ぬかの約5か月間を
絶望の中、なんとか生きのびます。
その生きるか死ぬかの期間に終止符を打った時に奇跡の出会いがありました。
当時、アメリカから捕鯨をしに世界の海を廻っていたウィリアム・ホイットフィールド船長でした。
ホイットフィールド船長は、
国も違う、言葉も違う、どこの誰かもわからない万次郎達を優しく迎え入れる、心の広い人望の厚い方でした。
さらに、言葉の通じないジョン万次郎達に伝わるように絵を使ったり、ジェスチャーを交えて話しかけるなど、
伝え方にも気を配ってくれる気遣いができる人物でした。
そんなホイットフィールド船長の優しさが心に染みて、言葉を理解したい、恩人の力になりたいという想いで、国も文化も年齢も全然違う捕鯨船員に自ら歩み寄り、身振り手振りで会話を試みて
自ら食器洗いや洗濯など、主体的に動いていきます!
そんな自分から行動する前向きな姿勢のジョン万次郎を見たホイットフィールド船長は、アメリカに行かないかと提案し、万次郎は未知の国アメリカに渡りました。
ホイットフィールド船長との出会いと、
アメリカでの生活が、その後のジョン万次郎に大きな影響を与え、
英語やアメリカ文化を学んだジョン万次郎は、その後の日本の開国や文明開花に大きな貢献しました。
(こちらの写真は、無人島から助けられた捕鯨船「ジョンハウランド号」の模型です🛳✨/ジョン万次郎資料館の展示より)
ここからは、具体的にホイットフィールド船長と出会ってからのジョン万次郎の変化について、ご紹介します。
◆ホイットフィールド船長との出会いで大きく変わったこと
ホイットフィールド船長との出会いで、海の男の世界やアメリカに触れて、ジョン万次郎の"当たり前"がいくつも変わっていきます。
簡単にまとめると
1.身分に関係なく、皆、対等であり平等であること
命がけの旅路を、同じ釜の飯を食べながら進んでいく運命共同体として、お互い認め合い助け合って生きている、船の上での仲間の様子もとても好きな場面です😊✨
そこでは、身分差別の激しい当時の土佐とは違い、
自分たちで投票して船長を選出していました。
捕鯨船に乗っていた時には、投票での船長選出の際、ジョン万次郎はその信頼と人望から、船長に選ばれかけます。謙虚なため年上の方に船長の座は譲り、自身は副船長として皆のために尽力します。
2.学問を受けて学ぶことができたこと
日本にいるときは、9歳で父親が亡くなってから、家計を支えるためにずっと働いていたジョン万次郎。
そもそも身分的にも学問を受けられない状況でしたが、アメリカに渡ってからはホイットフィールド船長のご好意で、小学校から通い、基礎から学びます。
この時学べる環境に行かせてもらえたことも、その先で勤勉に真面目に努力したこともあり、進学が難しい航海の高等学校に進み、さらに高度な学問を学べるようになります✨
この時学んだことが、日本に帰国後日本で教鞭をとった時に活きてくるのです!
男女平等で女性も教育を受けていたというのも、当時の日本と違い、ジョン万次郎の"当たり前"が変わったことの一つかもしれません。
さらに、ホイットフィールド船長が、我が子のように無償の愛でジョン万次郎を大切にしていたのがわかる、こんなエピソードがあります。
それは、いつも通っていた協会で、ジョン万次郎が肌の色が違うだけで来ないでほしいとと差別された時のこと。
ホイットフィールド船長ご夫妻は、迷わずに協会を変えました。
日本のように、万物に闇が宿るとする八百万の神様の考え方や、無宗教も普通にある文化とは異なり、アメリカ人にとって信仰を変えることがどれだけ一大事なことなのかを知ると、そのジョン万次郎を想う愛情の深さがわかります。
3.日本の危機を知り、日本や大事な人たちを守るために開国が使命になったこと
ホイットフィールド船長のおかげでアメリカに渡るチャンスがあり、そのチャンスを掴んだことで、ジョン万次郎は、日本にいたときには分からなかった世界の中での日本の立ち位置を知ることができました。
当時鎖国して閉ざしており、何の敵意もないとしても、日本の漂流民を送り届けるためだとしても、近づくだけで海外の船に大砲を打っていた当時の日本が、海外からどのように見られているのかを知ることになるのです。
「このままでは日本が危ない!」
そう思ったジョン万次郎は、当時の国禁だとしても、開国と和解に向けて、命懸けで日本に帰り、尽力していくことを心に決めるのです。
もし鎖国したまま、海外諸国からの評判もどんどん悪くなっていたら、攻め込まれていた可能性もかなり高かった状況でした。
ホイットフィールド船長が、ジョン万次郎の好奇心と前向きな行動をしっかり見て認め、アメリカに来ないかと伝えなければ、このようになることもなかったでしょう。
それを特に感じるのは、土佐にいるときは万次郎のその好奇心ややってみる精神からくる行動は、認められるどころかむしろ、いぶかしがられたり頭ごなしに怒られたりしていたからです。
(最終的には、ジョン万次郎が創意工夫して考えてやった時に怒られた米挽きの案が、後からその良さに気づき、効率的だとなって村中に広まったそうですが、、)
だからこそ逆に、一人ひとりをよく見て、その人のいいところを見つけて認め、それを伸ばせないかと考えて行動に移すホイットフィールド船長との出会いあってこそなのでした。
ご紹介したいエピソードはまだまだありますが、
ここまで紹介しただけでも、ホイットフィールド船長との出会いの影響の大きさがわかるのではないかと思います。
あの時、人生初の漁で数年に一度の黒潮に流されて、生きるか死ぬかの漂流をして、その無人島に流されたこと、そこで絶望を味わいながらも、希望を持ち続けて諦めずに生き抜いたからこそ、出会えた軌跡のご縁。🍀
そこからつながり、紡ぎ続けたご縁は、現代でも子孫同士の交流があり、時代を越えたご縁として今でも脈々と続いているのも感慨深いなと感動します😌✨
ここまで書いてきたジョン万次郎の人生を知ることができた"読書"のみならず、
ジョン万次郎とホイットフィールド船長との出会いのように、"人との出会い"も大きな変化に繫がる一つだなと思います😊🌱
◆人との出会いによる変化は現代でも共通する☆
人との出会いで人生が大きく変わる経験は
歴史を見ても自明のことだなと思います。
歴史上の偉人も、人生のターニングポイントとなる出会いを果たした方がほとんどではないでしょうか?
自分の人生を振り返ってみても、
要所要所で、素敵な人との出会いもありました。
そしてその出会いを通して、自分の中の枠が広がったり取っ払われたりして、
考え方も、一つ一つの行動の選択も大きく変わったなと思います。
学生時代には、学校の先生や、
剣道の先生方やバイト先でお世話になった方。
社会人になって大阪から上京して
行動範囲がさらに広がってからは
さらに素敵な出会いが広がりました✨
学生時代の時のように、クラスや部活など枠がなくなる社会人では
自分で広げないとどんどん狭くなっていく中で、
色んなご縁を大事にしながら広げてきたなと思います🍀
中でも、人生を大きく変えるようなご縁であり
大事にしてよかったなと思うトップにくるのが
友人の渡邊芳樹さんとの出会いです。
◆人との出会いで大きく人生が変化した経営者の渡邊芳樹さん
初めてお会いした当時は、会社員だった渡邊さん。
会社で働きながら、仕事終わりの時間も土日のお休みの日も全て使って、事業立ち上げの準備をされている時でした。
今は、オーガニックのセレクトショップを経営されていて、収入も会社員時代より一桁上がったとお聞きしました。
渡邊さんは山梨県出身で、いい学校に入っていい会社に入る王道の道を進み、高校卒業後は、大手の電力会社に就職されました。
先輩の飲み会も全部断らずに行き、停電を解消したり被災地の復興支援に行ったりと、仕事もやりがいをもって頑張られていました。
自分なりに将来良くなるようにと、世界旅行に行ったり、投資をしたり、試行錯誤しても勉強にはなるものの、なかなか現実は変わらないなと感じていたときに、同じ山梨出身の先輩との出会いが大きなきっかけとなります。
その先輩は、大手の銀行で働き、営業もNO.1になられていたところから、ビジネスオーナーとして独立され、今では年収7000万ベースの女性経営者になられたそうです😳
その方との出会いを機に、
もともとは安定志向だったところから、
チャレンジして努力して自分も変えたいと独立の道を志されたそうです。
そこからは、経営の知識も経験も何もなかったところから、お金の使い方を変えたり、経営者の考え方や価値観、リーダシップや組織マネジメントなどをゼロから学ばれました。
人のお役に立つためには?どうやったらできるか?ということを考えられているのが、一緒に飲んだりした時に、周りの人に慕われている様子を見てもとても伝わります。
経験も実績もなかったときに、教えていただいたり力を貸してくださってありがたかったから、
実績を作った今は、今度は、していただいたように恩送りしたいと仰っていたのをお聞きしました。
恩返ししきれないけれど、恩送りしたいという渡邊さんの感謝の気持ちから、その行動が来てるのかと繋がったときに、その人に対する深い愛情からくる優しさがわかりました😌
渡邊さんのお話をお聞きしても、人との出会いが大きく、同じ山梨出身の先輩との出会いがきっかけで、会社員も10年以上頑張られてたところから、今の経営の道を進もうと変えられての今があるそうです。
ここからは、そんな人を大切にされている渡邊さんから学んだことをご紹介していきます!
◆「誰と一緒にいるか」の大切さ
ここまでも、人との出会いで変わった経験をご紹介しましたが、それだけではありません。
渡邊さんもよく仰っていて、渡邊さん自身が大事にされているなと感じるのは
「誰と一緒にいるか」ということ。
「誰と一緒にいるかで人生変わるよ」
この言葉をお聴きして、まさにその通り!!と
思う経験が何回もあったので、
とても共感したのを覚えています。
一緒にいる人で”当たり前”が変わる体験。
皆さんはされたことありますか?💡
日常を振り返ってみると、例えば、
進学校に行けば、勉強するのが当たり前、国公立の大学に進学することが当たり前になりますし、クラスの中でも塾に通っている人が増えることも想像出来ますね。
スポーツ推薦で進学した人にとっては、勝つために練習することが当たり前、
超強豪校であれば、優勝するのが当たり前というところもあるかと思います。
その場合は、勉強よりもスポーツの練習に重点を置きますよね。
ただ、”当たり前”が違うだけで、どれが間違いでもないし、どれも正解だと思います。
目を向けてみると、実は、あちこちにそんな当たり前の違いがたくさんあります。
こういった文化やルールなんかもそうですが、
感情や気持ちも同じで、一緒にいる人の影響をとても受けるなと感じます☆
「泣くのと笑うのは伝染する」と聞いたことがありますが、
それは、脳科学的にも照明されています。
それは、ミラーニューロンの影響があるからです。
ミラーニューロンは、「共感細胞」とも呼ばれている脳の神経細胞です。
PRESIDENT Onlineに掲載されている
脳科学者の茂木健一郎さんの記事には、
ミラーニューロンについてこう書かれていました☆
「ミラーニューロンとはその名(ミラー、鏡)の通り、他者の行動を見て、自分が行動したかのように脳内で反応する神経細胞のことを言う。」
(引用:https://www.google.com/amp/s/president.jp/articles/amp/57042%3fpage=2)
他者を模倣することで動作を学習するという、身体的に重要な役割だけでなく、
「相手がどう感じているか」を推測する神経モジュールとしての機能がそれ以上に注目されているとのこと。
ミラーニューロンにより、相手の行動を脳内で模倣することで、そのときに抱く感情を自分事として理解し、「相手がどう感じているか」を推測しようとするのだとか😳
ミラーニューロンのこうした機能を含め、他者の感情や言動を読み取ろうとするのが、「共感細胞」と呼ばれる所以であり、
このミラーニューロンの働きによって、相手の気持ちが伝播するようになっているんです。
確かに、
・よく笑う人と一緒にいると、自分も思わず楽しくなってきますし
・怒ってばかりいる人といるとなんだか恐縮するし、
・泣いている人がいると、自分も悲しくなってきた
なんて経験をされた方も
少なくないのではないでしょうか?
感情はメンタルとも深く関わるため、
そういった面も、一緒にいて良い影響があるかどうかはとても大事だなと感じています🍀
ここまで紹介してきたような
誰と出会い、誰と一緒にいるかの大切さは
どの時代かどうかも関係なく共通しているなと思います。
◆まとめ
いかがでしたでしょうか?😊
本との出会いも、人との出会いも
過去を振り返ってみると、人生の岐路や変化に影響しているのではないでしょうか?
自分の人生と照らし合わせて考えてみても、
私の人生が大きく方向転換したきっかけは、読書と渡邊さんでした。
自分の中の"当たり前"が変わり、
もともとは人見知りだったところから、新たな人との出会いを大切にするようになり、いい影響のある人と一緒にいることを意識するようになりました。
(私にとっての渡邊さんは、ジョン万次郎にとってのホイットフィールド船長のような存在だなと思います⛴)
今回、ジョン万次郎の江戸末期〜明治時代の人生と、現代の人生を両方書いてみたことで、読書の新たな価値も感じました。
友人の渡邊さんには直接お聞きすることができますが、時代も場所も超えて今は聞けない色んな方の人生までも知ることができると考えると、読書はすごいことだなと✨
自分もいつか渡邊さんやホイットフィールド船長のように、人の人生に良い影響を与えられるような人になりたいと、改めてこの記事を書きながら思いました!
私はまだまだ、知識も経験値も足元にも及びませんが、
年々経験値も、人としての器も魅力も増していくような人になるためにも、
もっと色んな経験や人脈を増やしていき、読書も習慣化して、新たな本や人生とも出会っていきます😆✨